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写真よもやま話


写真やカメラに関するよもやま話を語ります。

遺影写真

 3月に姉のお姑さんである義理の母が亡くなった。
一人暮らしをしていたが、お風呂場で倒れているのが発見されたのは亡くなって3日後のことだった。暦の関係で連絡を受けたその日が通夜、翌日が葬儀と慌ただしいスケジュールの中、問題になったのが祭壇に置く遺影の写真だった。
姉夫婦は葬儀の準備や来客の応対に忙しく、写真を探し出したのは夜になってから。写真は翌日の朝一に業者に渡さなければならない。

 姉夫婦の自宅を探してみると旅行に行った時の写真は沢山あるのだが、帽子を被っていて表情が分かりづらいものや、表情が良くないものがほとんど。しかもスマホで撮影した写真は画質が良くなかった。姉夫婦は諦めて、あまり画質が良くない写真を数枚選んだが、私はなんとなくすっきりしない。画質の良くない写真が遺影となることに義母が気の毒に思えた。

 自宅に戻って夜中に過去に撮った写真をパソコンから探し始めた。毎年姉夫婦が実母と義母を旅行に連れていくのに私も同行していたので何枚かは撮影した写真があるはずであった。四国琴平、城崎温泉、赤穂、塩田温泉、天の橋立など旅先の写真を探すも、表情が硬かったり、顔が帽子の影になっていたりと、なかなか良いものが見つからない。私のカメラで撮影した写真は風景がほとんどで、全員で記念撮影する時は義兄のデジカメで撮影することが多かった。今更ながらにそれを後悔した。

 しばらく探していたら、城崎温泉に行った時に室内で全員で撮影した写真があった。その写真は「城崎にて」を執筆した志賀直哉が宿泊した部屋を案内してもらった時に、女中さんに撮影してもらったものだったが、部屋が暗いので私の一眼レフを使っていた。2枚のうち1枚はブレがあってNG。残りの1枚はピントも合っている上、表情も良い。これだ!!と思ったが時間はすでに深夜0時を廻っている。メールで写真があったことを連絡したら、姉からすぐに電話があった。「とりあえず写真を送ってくれ」と。業者にいくつか渡して使えそうなものを選んでもらうとのことだった。

 翌日、葬儀開始の1時間前に葬儀場に到着。入口で目に入ったのは素晴らしい義母の遺影だった。自分が渡した写真のものだったが、ポートレート撮影で撮ったかのような出来栄えだった。
姉が私に気付き、「良い感じになったでしょ」と言った。義兄も「業者に見せたらスマホで撮ったものと画質が全然違うと言われた」と言いながら私を労ってくれた。
参列していた親戚からの評判も良かった。もちろん記念写真から画像処理をした業者の腕もあるのだが、写真を提供できた私も嬉しかった。遺影が義母を失った悲しさを和らげてくれているような感じがした。お世話になった義母にほんの少しだがお返しが出来たような気がした。たかが写真であるが、この時ほど写真の重さを感じたことは無かった。

 それ以来、久し振りに人に会うと記念写真を撮るようにしている。自分も含めて写真は大切な思い出だ。今は元気な実母だが、これからはなるべく機会を作って写真を撮っておこうと思う。いつか来るべき時が来るのだから。


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