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写真よもやま話


写真やカメラに関するよもやま話を語ります。

写真は時間芸術

 先日、元町にある「フォトカフェ」で珈琲を飲んでいました。 するとマスターから「こんなのがあるんですよ」と一枚のパンフレットを手渡されました。

見ると、昭和40年頃の倉敷駅前とどこかの商店街の写真、9990円の価格、1500部限定の文字。写真集のパンフレットでした。
最近、こうした昔の写真を集めた写真集がよく販売されていて、私も数年前、自分が住んでいる明石市の写真集を購入していたので「ああ、あれだな」と思いながらパンフレットを見ました。

「 ここを見て欲しいんです」とマスターが指さしたのは商店街の写真。50年前の商店街が賑わっている写真とその隣に現在の同じ場所を撮影した写真が並んでます。 昔の写真を見るとアーケードがあって沢山の店が並んでいて、かなり立派な商店街であることがわかります。また、買い物客で賑わっていて写真からも活気が伝わってきます。
一方、現在の写真は店やアーケードがすっかり無くなって、人通りもなく、ただの「通り」といった様子。50年という時間、その間の暮らしの移り変わりを感じずにはいられませんでした。
「だからこういった写真を撮っておかないといけませんね」とマスター。私も珈琲を飲みながら頷きました。

 私たちは普段、写真を思い出の記録として撮影します。その時多少の構図は考えて撮りますが、それを「芸術写真」とは考えて撮りません。 芸術写真はプロの写真家がモデルや小道具、照明を使って撮る、あるいは海外にロケに行って大自然や美しい街並みを撮るもので、そこにはそれ相応の(お金を払う)価値が存在すると考えています。 普段撮っている写真はあくまでも記録写真であり価値は皆無で、価値のある芸術写真とは区別しています。

 でも、写真は面白いもので、撮った時にはこれといった価値のないものだと思っていたものが、時間が経つにつれて価値が出てきたりするのです。 この商店街の写真も撮られた時には、お金を払ってまで買いたいと言う人は居なかったでしょう。しかし50年が経った今、高価な写真集にして販売することが出来るようになったのです。

 失われた町の賑わいが写真のなかに存在し、今の街並みと比較したり、当時の暮らしぶりを知ったり、懐かしんだり出来るのもこの写真が存在しているからこそ出来ることです。 そこには撮られたときには無かった「価値」が生まれてきているのです。時間が芸術写真と同じような価値を与えたと言っていいでしょう。
これを「時間芸術」と呼ぶ人がいて、初めてその言葉を聞いた時は「うまいこと言うなあ」と感心しました。

 ただし、重要なのは全ての写真がそうではないということです。時間が経つだけではなくある程度の要素が求められます。 といっても難しいものではなく、写っているものが何であるかがその価値に影響を与えます。 風景なら自然の風景より 街中の建物や人が写っているものの方が価値があります。人物であれば職業や趣味が分かるものが良いと思います。 その時代の暮らしぶりや文化が分かるものに価値が生まれやすいようです。 あなたがiPhoneで撮った写真も50年後には芸術写真に生まれ変わっているかも知れませんよ。


マスターから見せてもらったパンフレットの写真

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